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世界遺産とカジノホテルの街マカオは、4世紀半もの間ポルトガルの影響を強く受け、南欧と中国の文化が交差する世界でも珍しい都市です。東洋文化と西洋文化の同化、共生が味わえ、世界遺産や数々の歴史市街地区は見所が満載です。 また食文化もポルトガル料理、中華料理が味わえる不思議な街です。
カジノ産業と観光産業により経済発展が著しく、ついに2006年世界最大のカジノ都市となりました。日本からも多くの観光客が訪れ、5つ星高級ホテルやショッピングモールなどが立ち並び、都市開発が急ピッチで進行中です。 |
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| 名称 |
マカオ(Macau)、澳門 |
| 正式名称 |
中華人民共和国澳門特別行政区 |
| 面積 |
28.2km² (東京都世田谷区の半分程度) |
| 人口 |
508,500人(2006年) |
| 通貨 |
マカオ・パタカ(MOP)
1香港ドル=1.03パタカ。マカオでは香港ドルがそのまま通用します。 |
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マカオは、中心地となる半島部とタイパ島及びコロアネ島からなります。
半島部は、東には珠江(真珠の川)、西には西江(西の川)があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接しています。
1970年代以降に大規模な埋立が行われたためマカオの地形は概ね平坦ですが、多数ある険しい丘が元の地形の名残をとどめています。高度に密集した都市で、耕地、牧場、森や林はなく、実質的に農業は殆ど行われていません。 |
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マカオ港から香港のセントラルにあるフェリーターミナルまで、ジェットフォイル(ボーイング929など)や高速双胴船が24時間、5分-15分間隔で運行されており、両方を約60分で結んでいます。中国本土にも定期船が頻繁に運航されています。 |
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24時間運行のマカオ国際空港があり、マカオ航空などが中国本土や台湾の主要都市のほか、シンガポールやバンコク、クアラルンプールや平壌などのアジアの主要都市との間に定期便を運航しています。 |
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路線バスやミニバスの路線が域内を網羅しています。
他にも、タクシーが安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されています。また、市民の足としてスクーターが重宝されています。 |
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空路で香港⇒香港国際空港からフェリー(所要時間45分 本数少なめです)
空路で香港⇒香港セントラルのフェリーターミナルよりフェリー(5分-15分間隔 所要時間60分)
空路で香港⇒香港セントラルのフェリーターミナルよりヘリコプター(所要時間16分)
近年、羽田発マカオへの直行チャーター便が頻繁に運行されている他、2006年の日中航空協定により、マカオ航空がマカオ−関西空港間に初の定期便を開設予定(現在中国民航局に申請中)。 |
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| マカオの人口は95%が華人です。最も多いのは客家人を含む広東人で、いずれも近隣の広東省から来ています。残りはポルトガル人や、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血を祖先とする人々です。 |
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| 公用語はポルトガル語と中国語で、官報を始めとする公布や各種注意書き、道路標示を始めとする公的な表示にはほぼ全て2ヶ国語での表記が義務付けられている他、看板の表記などは基本的に2ヶ国語の表記が行われています。タクシーやバス、地元の店での会話は広東語が基本で、ポルトガル語はポルトガル人を除けば殆ど使用されていません。また、主な観光地では英語も通じますが、困ったときは漢字で筆談するのが一番良いようです。 |
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マカオの経済はギャンブルを含む観光産業と、織物や衣類、花火の生産に大きく依存しています。近年では多角化に努めた結果、小規模ながら玩具や造花、電子機器の製造も始まっています。織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているものの、実際はGDPの40%程度で、政府歳入の70%程度はギャンブルに依拠すると推測されています。なお、2006年度のGDPは142億アメリカドルに上ります。 |
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| 港町として栄えていたマカオに1513年ポルトガル人が初渡来し、明王朝との交易を開始しました。日本が鎖国するまでは、長崎との貿易で繁栄を極めました。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放により次第に衰えていきました。 |
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1842年にイギリスがアヘン戦争で勝利を収め、香港島を獲得すると、1845年にポルトガルもマカオ自由港の成立を宣言して清の税関官吏を追い出し、タイパ島とコロアネ島を占領しました。最終的には1887年にポルトガルが統治権を獲得し、正式に植民地としました。しかし当時ポルトガルの国力は凋落しており、それに対して大英帝国の植民地である香港の繁栄により、マカオの貿易港としての地位は凋落してしまいました。
1941年の第二次世界大戦においてポルトガルは中立国という立場をとりました。その結果、当時東南アジア全体を占領していた日本とは交戦状態に入らなかったため、日本軍はマカオを占領せずに駐在武官を置くに止め、中立港として機能し安定反映をしました。 |
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その後1966年に起きたポルトガル軍警察発砲事件により中華人民共和国の影響力が増し、さらに1974年のカーネーション革命によりポルトガルの民主化が進み、マカオの行政上及び経済上の自治を多くの点で認めたのです。
そして1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオは特別行政区となりました。
マカオでのカジノの広まりは、広州で貿易に従事する欧米人がマカオを休養地とした際に発展したと言われています。 |
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